ベトナム人育成現場で「指示待ち」が生まれる構造─“責任”という言葉のズレを読み解く

06-22-2025

「もっと自律的に動いてほしい」「なぜ主体的に判断しないのか」
─ベトナムで働く日本人管理者から、こうした声は頻繁に聞かれます。
しかしそれは、本当に“やる気”や“能力”の問題なのでしょうか?

実はその背景には、「責任」という言葉に対する根本的な認識の違いがあります。

責任=信頼?責任=処罰?

日本語で「責任のある立場ですね」と言えば、多くの場合それは“信頼”や“期待”の証としてポジティブに捉えられます。
一方で、ベトナム語の “trách nhiệm” は、言葉としては中立であるものの、
実際の現場では「うまくいかなかったときに責められる可能性のある立場」として受け取られやすい傾向があります。

このズレが、「任せ方」と「任され方」に大きく影響します。日本人マネージャーが
「責任を持ってやってくれ」と伝えるとき、それは信頼の表明ですが、
ベトナム人スタッフは「自分が失敗したら責任を取らされるのかもしれない」と捉え、
むしろプレッシャーとして感じてしまうのです。

「判断=リスク」という構造

こうした背景があるため、自分で判断することそのものがリスクとして感じられることも少なくありません。
その結果、「間違えたくないから、正解を待とう」「安全な選択をしよう」として、
指示が来るまで動かないという行動様式が生まれます。これが、いわゆる“指示待ち”の構造です。

つまり、自律的に動かないのではなく、“自律的に動くことで損をするかもしれない”という合理的な判断をしているだけなのです。

必要なのは、「任せること」の再定義

このズレを解消するには、「責任を持って任せる」という言葉に、“見守る姿勢”を一貫して添えることが重要です。
結果がどうであっても頭ごなしに叱責せず、プロセスを振り返り、次に生かす姿勢を示す。
そうして初めて「任される=信頼」と実感できるようになります。

つまり、マネジメントに求められるのは、“信頼の言語化”だけでなく、“行動による証明”なのです。